内垣美恵の濃い日記

たまには日記もいいでしょう

後悔しない人生のためにしたいこと

人が亡くなる直前に後悔することは「やりたいことをやらなかった」「自分のための人生を生きなかった(他人の評価を基準に生きてきた)」だそうです。
生まれてから両親から耳にタコが出来るくらい言われるのが「他人からの評価を基準に生きなさい」ではないかと思うのです。
テストの点数、教師からの評価、部活動、礼儀正しくあること、華美な服装をしないという曖昧なものまで、「多くの大人がみて好感の持てる人物」になることが「良い人生」と植え付けられて育ちます。
わたし自分もいわゆる「適齢期」をとうに超えた時に「縁談」として半ば強引に結婚刺せられそうになりました。紹介者が「自分が仲人である」と威張りたかったのと、その紹介者と仲の良い父親がそんな友人の夢を叶えたかった事などが複雑に絡んだ「縁談」でした。とても共に人生歩みたいと思えず、どちらかといえば同じ空間にも居たくない人と結婚なんてとても無理だと断りました。父は「結婚すれば幸せになるんだ」「今のままではだめだ」などと脅してきました。結婚すれば全ての自分の人生の問題がまっさらになって「幸せ」になれるのか。父親の言う「幸せ」とはわたしの考える「幸せ」とは全く違い、「年相応に部相応の結婚をして慎ましく夫の世話をしながら控えめに贅沢せずに10人並みの生活を営むこと」でした。
父親の「幸せ」とは「周りと同じこと」なのです。
今までもやみたいだったわたしの願望がその時に遅ればせながらクリアになりました。
わたしの考える「幸せ」は、誰かと同じではなく、心から愛せる好みの人と結婚し、やっかみを受けるくらいお金持ちで幸せになることをです。
今までモヤモヤしたまま「周りと同じじゃないと叩かれるよなぁ」と思っていたから必要以上に周りから叩かれたり、他の人なら許される事もわたしがやると決していつまでも許されなかったり、どこへいっても同じような問題が起きて同じような嫌な人が傷つけてきたのです。
自分が感じる幸せな人生を送りたいという希望を馬鹿にしたりケチをつける権利は誰にもありません。自分に嘘をついたりしていれば必ず指摘されます。自分が死ぬ時「わたしの人生は幸せしかなかった、やりたい事は全てやったし、結婚したい人としたし、充分なお金があって欲しい物は全て手に入れた、だからもう一回同じような人生を生きたい」と言える人生にしたいのです。