内垣美恵の濃い日記

たまには日記もいいでしょう

救命救急講習を受講して

ある早朝の地下鉄車内で、突然女性が倒れました。同じ車両のほとんどの人がオロオロする中、4人の女性がテキパキと完璧な連携プレーで対応を始めました。
2人は「わかりますか~」「落ち着いて下さいね~」と声を掛けながら、倒れた女性を仰向けにして衣服を緩め、2人の女性が同時に緊急時に使用する装置を作動させ車掌に事態を完結かつ正確に報告しました。全て一瞬の出来事でした。
衣服を緩めるなどの対応をした女性は、倒れた女性が妊婦で何ヶ月であるかまで聞き出して救急隊に引き継ぎをし、何事もなかったように席に戻りました。
この4人がいなければと思うと恐ろしいことです。
同時に、これだけ瞬時に的確な活動を行えることが凄いなと思いました。
もし自分がそういった場面にあった時に、まわりに看護師っぽい人が皆無でオロオロする人しか居なかったら、と思い、先日「普通救命講習」を受けました。
3時間の講習の中で、救急隊が来るまでの処置のあるなしがいかに重要なのかを学んだあと、実技です。
心臓マッサージでは人体の硬さと自分の腕力の無さを思い知りましたが、これで本番は多少マシな救護になると思います。人工呼吸では、さっぱり肺が膨らみませんでしたが、最近の救護では人工呼吸まではしなくても良いらしいのでほっとしました。ジンギスカン食べた後のおっさんに人工呼吸しなきゃならないなんてこちらが意識失いそうです。AED操作では、健康な人にも電流を流してしまうハプニングはありましたが、通常ならAEDが来た時点で野次馬は離れるでしょう。本物のAEDって取り出す時もうるさいですからね。
こうして実技も終了し、無事に修了証を頂きました。
こうなると実践してみたくなるのが人というもので、自宅で早速うたた寝中の母親に「大丈夫ですか~!」「通常呼吸ありません(イビキかいてるだけ)」「貴方は119番に電話して下さい」「貴方はAED使えますか?」などと実践して「アホじゃないか」「何故寝てるのを起こすんだ」と、ガッツリ怒られました。

後悔しない人生のためにしたいこと

人が亡くなる直前に後悔することは「やりたいことをやらなかった」「自分のための人生を生きなかった(他人の評価を基準に生きてきた)」だそうです。
生まれてから両親から耳にタコが出来るくらい言われるのが「他人からの評価を基準に生きなさい」ではないかと思うのです。
テストの点数、教師からの評価、部活動、礼儀正しくあること、華美な服装をしないという曖昧なものまで、「多くの大人がみて好感の持てる人物」になることが「良い人生」と植え付けられて育ちます。
わたし自分もいわゆる「適齢期」をとうに超えた時に「縁談」として半ば強引に結婚刺せられそうになりました。紹介者が「自分が仲人である」と威張りたかったのと、その紹介者と仲の良い父親がそんな友人の夢を叶えたかった事などが複雑に絡んだ「縁談」でした。とても共に人生歩みたいと思えず、どちらかといえば同じ空間にも居たくない人と結婚なんてとても無理だと断りました。父は「結婚すれば幸せになるんだ」「今のままではだめだ」などと脅してきました。結婚すれば全ての自分の人生の問題がまっさらになって「幸せ」になれるのか。父親の言う「幸せ」とはわたしの考える「幸せ」とは全く違い、「年相応に部相応の結婚をして慎ましく夫の世話をしながら控えめに贅沢せずに10人並みの生活を営むこと」でした。
父親の「幸せ」とは「周りと同じこと」なのです。
今までもやみたいだったわたしの願望がその時に遅ればせながらクリアになりました。
わたしの考える「幸せ」は、誰かと同じではなく、心から愛せる好みの人と結婚し、やっかみを受けるくらいお金持ちで幸せになることをです。
今までモヤモヤしたまま「周りと同じじゃないと叩かれるよなぁ」と思っていたから必要以上に周りから叩かれたり、他の人なら許される事もわたしがやると決していつまでも許されなかったり、どこへいっても同じような問題が起きて同じような嫌な人が傷つけてきたのです。
自分が感じる幸せな人生を送りたいという希望を馬鹿にしたりケチをつける権利は誰にもありません。自分に嘘をついたりしていれば必ず指摘されます。自分が死ぬ時「わたしの人生は幸せしかなかった、やりたい事は全てやったし、結婚したい人としたし、充分なお金があって欲しい物は全て手に入れた、だからもう一回同じような人生を生きたい」と言える人生にしたいのです。

アニメ、終物語 下 を見て

私は原作がノベライズの物語シリーズのアニメを続けて見ています。
しかし、アニメ化の前に原作を読んでいたのですが、最近、山奥に住むようになり、図書館や本屋が遠くて続けて読んでいた物語シリーズの原作を読めていません。
ネットで購入するというのも方法の一つですが、私は本を自宅の本棚にとどめておくことが実は苦手なので、購入はほとんどしません。
学生時代、本が好きで購入するのですが、どんどん自宅にたまりにたまり、2度と読まないような本もずっと取ってあったので、本は増えるばかりでした。
居住空間は狭まり、本棚は増やすとなると、だんだん窮屈になるものです。
意を決して古本屋に持って行ったり、図書館に寄付したりしてやっと片付いたのです。
増やしたくない一心で図書館で借りるか、大手販売店で数日かけて通い、立ち読みするかして新作を読み続けていました。
都心で暮らしていたからこそできた本の読み方だったと思います。
田舎に引っ込み、不便さから活字離れをするように変わったのですが、ずっと読んでいたシリーズは続きが気になるものでして、最近はアプリで最新アニメシリーズを見ることを覚えました。
物語シリーズのアニメでの最新シリーズは「終物語 下」なのですが、ストーリーは主人公の阿良々木暦が高校最後の思い出となる怪異と向き合うという内容でした。
10代の頃、誰もが持つ、自分の中だけにある正義感、それに対する現実の矛盾、それらをうまく折り合いをつけて昇華できるようになって大人になるものです。
10代の頃の、ほんの一面に過ぎないのですが、真面目で固定概念が強いのに、全部を丸く収めたい主人公が知らないうちに自分で作り出した怪異を退治するのかという葛藤が描かれていました。
きっと、この怪異を切り捨てることができれば、主人公は大人になるという、ラストではないかと思ったのですが、「終物語 下」では、切り捨てられずに助けてしまうという行為と、せっかく治った不死身の特異体質も、元に戻してしまうというオチに少しガッカリしました。
物語シリーズは売れているし、幸い主人公は大学に受かってあと四年は学生なので、製作側は続けたい方向性でこのオチにしたのだろうな、とは思ったのですが、ここは区切りをつけて欲しかったです。
大学生には大学生が向き合う自分自身と現実があるから。
大学生になった主人公がどうなったか、私も自分のルールを破って、原作を購入して続きを読むべきだろうか。
なんとも、自分を変えるのは結構大変なことですね。

お盆に見た夢

お盆の入りの晩に数年前に亡くなった祖母の夢を見ました。
夢の中では、雪が降っていました。
寒いので温かい靴を履いて学校に行こうと、靴を選んでいました。
雪は柔らかな綿雪だったので、長靴を選び、冷えないように厚手のハイソックスを重ね履きしてから長靴に足を入れ始めました。
そこで、祖母が後ろから話しかけてきました。
ビーズアクセサリーを一緒に作ろうと言うのです。
学校に行くから今はできないと断りました。
すると、登山に出かけるように勧めてきました。
それも学校に行くからと断り、私はあっさりと出かけて行きました。
柔らかい雪はすぐ溶けて足元はベシャベシャで、厚手のハイソックスを履いていても、長靴から冷たさが伝わってきました。
濡れてもあったかいブーツを選べばよかったと後悔するのです。
そこで目が覚めました。
お盆に亡くなった祖母の夢を見るなんて、何かメッセージ性のようなものがあるのかもしれないと夢占いを調べました。
すると、登山やアクセサリーは異性や結婚についての記述が多く、祖母は結婚を心配しているのかなとなんとなく解釈しました。
長靴を調べると、夢占いでは、経済の低迷を意味するという記述が多く見つかり、あぁ、私の稼ぎが良くなるどころか、悪くなるかもしれないという気がかりな結果となりました。
お見合いのような話はあるのですが、私はたった一回会っただけで、今後の人生をずっと一緒に生きることがどうしても想像ができないのです。
結婚のことをひと昔前は「永久就職」と言っていましたが、今は皆簡単に離婚もします。
私がお見合いで結婚した場合、よく知らないまま一緒になって、性格の不一致という理由で離婚する姿が自分で簡単に想像できてしまいます。
いい歳をして恋愛結婚がしたいのかと馬鹿にされますが、恋愛ではなく、人としてよく知り合ってから、先を進めたいと考えているのです。
初めて会った人には自分の良い面を見せようと努力しますが、人はいい面しかないわけではありません。
お互いに違う環境にいたのに一緒に住むことで生まれる不調和もあるでしょう。
そういったことを向き合うだけの努力をすることができる相手なのか、見極めたいのです。
値踏みしている、わがままだ、と言われても、私には必要なことなのです。
ただ、結婚ができればいいとは思えない、そんな私を祖母が心配しているのかもしれないと思うと、どこかで自分のこだわっていることに折り合いをつける必要があるかもしれませんね

いよいよ熱い甲子園が始まりました

台風の影響で一日遅れで行われた全国高校野球選手権大会の開会式が行われ、全国の予選を勝ち抜いてきた、各代表の入場行進から始まった甲子園大会、そして、滝川西の主将の選手宣誓で、選手権が始まりました、初戦は、サヨナラゲームと言うスリリングな展開、二試合目は、途中で雨の為、1時間半にも及ぶ中断が有り、初日の最後の試合は延長戦の末のサヨナラゲームでした、初日の試合を見る限りでは、打撃の方が勝っているように思えましたが、今年はこれから度の様な怪物が現れるのでしょう、楽しみですね、今年の注目は、春夏2度目の連覇を目指す大阪桐蔭に注目が集まっていますが、全国から集まった中に新たなダイアモンドの原石が多くあることでしょう、それが、大阪桐蔭と度の様に戦うのか、野球はチームプレーが、大切です、ラッキーボーイが出てきたチームが強いですが、今年のラッキーボーイは、何処から出てくるのでしょう。プロが欲しがる選手は、既にマークしているはずですが、プロのスカウトも知らなかった様な選手はいるのでしょうか、打撃では早稲田実業の清宮の様な選手がいますが、彼ら早稲田実業は地方大会の決勝デ、敗退してしまい、甲子園までは来ることが出来ませんでした。甲子園に来ていたなら、間違いなく、大会ナンバーワンの注目選手のはずだったのですが、残念です。しかし彼はすでに高校代表に選ばれていますので、高校生のホームラン記録は更新する事でしょう、まだ初日を終えたばかりで、何処が強いのかよくわかりませんが、楽しみは続きますねワクワクドキドキの2週間が始まったばかりです、波乱の予感がするのですが、地元の代表が出てきて活躍してくれる事を、願っています、それは、全国どこも同じなのです、私の様に60歳を過ぎても、高校野球に一喜一憂している永遠の野球少年たちが応援しているのです、野球を志した者に取って、甲子園は、永遠の憧れの地なのです、そこで、試合のできることを、誇りに思い、堂々の試合をしてもらいたいと思います。

帰省と墓参り

8月7日と8日の愛媛から故郷の北九州に帰省しました。父からがんの報告を受けての帰郷です。松山市からしまなみ海道を通って車で帰りましたが、6時間半の行程でした。父に会うのは2年ぶりで北九州の八幡西区にある産業医科大学病院に見舞いに行きました。がんと聞いて悲観的な思いで対面しましたが、意外に元気そうでした。肺がんということでしたが、昔からショートホープをガンガン吸うヘビースモーカーだったので、仕方がないという思いはありますが、77歳という年齢もあるのかなと思います。放射線治療抗がん剤治療を併用してやっているということで、のど元から胸にかけて焼いた後のような線が体に刻まれていました。本人は入院で体力を奪われるのが嫌らしくて毎日30分病院内と外を歩いているということです。私は仕事を理由に2年に1度しか帰らないので私の2人の子供たちの成長を感じてもらい少しでも頑張る気力を身に付けてくれたらと思いました。私の2人の子供は上の男の子が高2でダンスをやっていてその道を模索中です。下の娘は中2でバスケで小学校の時に全国を経験しているので、2人とも将来に向けての目標を見定めているので、そこに生きる楽しみを見つけてもらえば私が帰った意義もあると思いました。そして大学病院近くにあるお墓に行き、私の祖先と母と祖父が眠る霊園で墓参りを行いました。母は16年前に多発性骨髄腫という病にかかり発病してから2年で亡くなり丁度息子と入れ替わりで逝ってしまいました。母が生きていれば私の子供たちもほったらかしにされずに、もっと可愛がってもらって愛情を注いで上げれたのにと思うと残念でなりませんが、その母の思いを私は子供たちに伝えていく役目があるということを墓参りを通じて考えさせてもらっています。しっかりと今後も見守って欲しいということをお墓の前で母と先祖の前でお願いしました。子供たちはまだそこまで分かってもらえないかもしれませんが、先祖を供養することで、精神的な支えが得られることを一緒にここに帰ってきて体験させていきたいと思っています。